2000年ドラフトを振り返り! レッドスター

2000年のドラフトで阪神は、8人を指名。
野村監督の意向もあって、俊足巧打の選手を中心した指名となりました。
その中には後にレッドスターと呼ばれ、グラウンドを駆け回ったあの選手の姿も。

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指名選手

1位 藤田太陽 156試合 13勝14敗4S 4.07

2位 伊達昌司 146試合 12勝7敗9S 3.33

3位 狩野恵輔 402試合 .255 18本 91打点

4位 赤星憲広 1127試合 .295 3本 215打点 381盗塁

5位 加藤隆行 1軍出場なし 

6位 沖原佳典 366試合 .256 8本 76打点

7位 藤本敦士 1001試合 .251 14本 208打点

8位 梶原康司 4試合 .000 0本 0打点

1位 藤田太陽

この年のドラ1はアマチュア屈指の本格派右腕・藤田太陽。
名前のスター性もあって、1年目から先発投手として大きく期待されました。
しかし故障や手術などもあり、阪神にいた9年間ローテーションに定着することは出来ませんでした。
2009年途中に、西武の水田圭介と交換トレード。
トレード後は中継ぎとして開花し、2010年には48試合に登板しました。
2011年からはまた低迷してしまったのですが、本人にとってトレードが良い方向に働いた例と言えるでしょう。
現在は社会人チームでコーチ兼投手をしているとのこと。

2位 伊達昌司

大卒社会人ということもあって、ルーキーイヤーから一軍で起用されていた伊達昌司。
2001年に28試合、2002年には41試合に登板し中継ぎの一角として活躍しました。
2002年のオフに、山田勝彦と共に日本ハムファイターズにトレード。
その交換要員は中村豊、そして阪神に多大な貢献をすることになる下柳剛です。
在籍期間はわずか2年でしたが十分一軍の戦力になっていただけに、当時監督だった星野さんもかなり思い切った決断をしました。

3位 狩野恵輔

打てる捕手という触れ込みで入団した狩野恵輔。
そんな狩野がブレイクしたのは2009年、阪神の正捕手として127試合に出場し打率.262という好成績を残します。
足も速く、この年は10盗塁も記録しました。
その後は城島健司の入団、また自身のヘルニアもあって出番が激減。
しかし代打の切り札として復活し、最後は二軍で引退試合も行われるほどの選手になりました。
現在は解説者や中学野球の指導者として活動しています。

4位 赤星憲広

「新庄さんの穴は僕が埋めます。」
入団会見でこう言ってのけたのは、小柄な社会人選手でした。
6位の沖原、7位の藤本などと共に「F1セブン」に任命された赤星憲広。
ルーキーイヤーである2001年は127試合に出場し、打率.292 39盗塁の好成績。
新庄の穴を埋めるという言葉を見事に体現し、新人王を獲得しました。
2003年から2005年までは3年連続で60盗塁をマークし、二度の優勝に大きく貢献。
2006年以降も順調に実績を積み重ねていましたが、2009年にダイビングキャッチの際に脊髄を損傷。
球団とも折り合いがつかなかったようで、早すぎる引退となりました。
現在もコーチとして現場に復帰しない所を見るに、体調は万全ではないのでしょう。
それでもいつかは良くなり、阪神のユニフォームに袖を通した姿を待ち望んでいる人は多いのではないでしょうか。

6位 沖原佳典

28歳でのプロ入りとなり、オールドルーキーと呼ばれた沖原佳典。
当然即戦力が期待され、1年目から71試合に出場。
3年目となる2003年には、64試合ながら.341という高打率を残します。
しかし2004年は出番が激減。
2005年途中に楽天の前田忠節とトレードとなります。
現在は楽天でスカウトをしているとのこと。

7位 藤本敦士

入団1年目から75試合に出場し、打率.269の成績を残した藤本敦士。
2003年には打率.301を残し恐怖の8番打者としてチームに貢献。
優勝メンバーの1人に名を連ねます。
その後は鳥谷の入団もあり、入団時の遊撃手から二塁手にコンバート。
しかし2003年並の成績を残すことは出来ず、出番も減っていき2009年オフにヤクルトにFA移籍をしました。
引退後は関西に戻り、現在は二軍でコーチをしています。

赤星を筆頭に、好選手が多かった2000年ドラフト。
優勝への貢献度を考えても、かなり良いドラフトだったと言えるでしょう。
今後阪神に赤星並に足を武器にできる選手は現れるのか、植田・島田・熊谷に期待です。


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