昨年、「宇宙人」とも言われている糸井嘉男を獲得した阪神タイガース。
かつて在籍をしていた新庄剛志という選手もまた、そう呼ばれていたことがありました。
高い身体能力に数々のパフォーマンス、そして何よりも「華」のある選手です。
通算成績
(NPB)
1411試合出場 打率.254(5163-1309) 205本 716打点 73盗塁 OPS.737
ベストナイン(1993年、2000年、2004年)
ゴールデングラブ賞(1993年、1994年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年、2004年、2005年、2006年)
絵になる選手
高い身体能力、意外性のあるプレー、抜群のスタイル、ファンやマスコミを沸かせる言動、ファッション性・・・。
そこにいるだけでも絵になるという、特別な選手。
新庄剛志という選手は、そういう存在でした。
新庄よりも実績を残した選手は沢山いますが、新庄よりも華のある選手を私は見たことがありません。
彼が守っていたセンターは、輝いていました。
センターに飛べ!
ゴールデングラブを10度獲得したように、新庄は特に守備面での評価が高かった選手です。
守備範囲の広さ、そしてランナーを突き刺す猛肩。
阪神がピンチになった時には、打球がセンターに飛ぶことを願っていました。
新庄なら捕ってくれる、刺してくれる、何とかしてくれる・・・。
そんな期待感を持たせてくれる選手でした。
「明日も勝つ!」
最も印象に残る新庄剛志のプレーとは何か。
色々とありますが、私は1999年の巨人戦で見せた「敬遠球をサヨナラ安打」を選びたいと思います。
踏み込んで敬遠球にバットを伸ばした時は、一瞬何が起こったのかわからず時間が止まったように感じられました。
野球中継を見てあれほど驚いた事は、後にも先にもありません。
そしてその試合のヒーローインタビューで宣言した、「明日も勝つ!」。
その格好良さに、鳥肌が立ちました。
翌日の試合は敗戦し新庄自身も無安打に終わり、「明日も勝つ!」は一種の忌み言葉のようになりましたが、そういう所も含めて新庄らしい気がします。
2000年に打撃開花
その素質や高卒3年目という若さで1軍選手になったことを考えると、その後の新庄の打撃成績にはやや物足りなさもありました。
そんな新庄の打撃が本格的に開花したのは2000年。
この年、新庄は.278 28本 85打点 15盗塁というキャリアハイの数字を記録。
もちろん守備も鉄壁で、攻守の要となりました。
「ミスタータイガース」と新聞に書かれることも多かったと思いますが、しかしこの年に新庄はFA権を取得。
阪神から離れ、条件面で遥かに劣るメジャーに挑戦をする道を選びました。
メジャー時代
守備はともかく、打撃はメジャーで通用するのか?
そんな心配もありましたが、ニューヨーク・メッツでの1年目は.268 10本 56打点を記録。
終盤には4番も打ちました。
年俸20万ドルということを考えると、メッツ関係者の予想を上回る活躍だったのではないでしょうか。
また翌2002年にはサンフランシスコ・ジャイアンツで日本人初のワールドシリーズにも出場。
守備はメジャーでも好プレーを連発し、打撃成績以上の存在感を見せました。
再びメッツに戻った2003年には不振に陥り、メジャーリーガーとしての新庄は3年で終わりを告げました。
しかし、何とも中身の濃い3年間だったと思います。
日本ハム時代
帰国をした新庄が選んだ球団は、日本ハムファイターズ。
メジャー3年目の不調が嘘のように、新庄はこの日本ハムで暴れまくります。
それは野球面に限らず数々のパフォーマンスにも現れており日本ハムを、そしてパリーグを大いに盛り上げました。
オールスターでは史上初となる単独での本盗も決め、この頃の新庄は心底野球を楽しんでいたように見えます。
2006年には日本一に貢献をし、そして惜しまれながらもユニフォームを脱ぎました。
最終年の成績は.258 16本 62打点。
成績だけ見ると早すぎる引退でしたが、しかしこれもまた新庄らしいと思います。
引退後
引退後、新庄はコーチにも解説にもならずに野球界から離れています。
何年か前の番組で近況を追う企画があったのですが、そこでは海外で子供に野球を教えながら絵やモトクロスに打ち込んでいるという新庄の姿が放送されました。
その姿は実に生き生きとしており、現役と同じかそれ以上に充実していることが伺えました。
近年ではテレビ出演も増えていますが、野球界に戻る気があるのかはわかりません。
しかし何をしても新庄らしいと思えてしまうのが、彼のずるい所です。